ヒロシマ・ピース・センター メインイメージ

本財団の基本的精神は、原爆をうけた広島の生存者が尊い生命を犠牲にした人々を思い、世界人類に対して恒久平和を念願することこそ広島の責務であるという信念に基づいています。原爆被爆の記憶を原点に、平和への普及啓発活動を行っています。


本財団のおいたち

財団創立者 谷本 清 (1909~1986)
財団創立者
谷本  清
(1909~1986)
 被爆直後、悲嘆にくれた広島の現状を視察して被爆者を取材し、核兵器に対する憤りと被爆者への愛といたわりで綴ったアメリカ従軍記者ジョン・ハーシー氏による名著「ヒロシマ」によって、被爆地広島への関心は広がりと高まりをみせました。
  こうした時の1948年、谷本清氏(元:日本基督教団広島流川教会牧師)は、メソジスト教会ミッション・ボードの招きを受け、原爆による被爆の体験をもってアメリカを歴訪。15カ月の間31州、256都市、472団体において“被爆の惨状と平和の尊さ”を訴えました。
  「ヒロシマ・ピース・センター」という名前は、この訴えに呼応してアメリカで生れ被爆地広島に継承され、広く世界平和の運動を推進する母体として1950(昭 和25)年8月8日、財団法人として認可されました。
  谷本清氏は、本財団創立以来理事長を務め、再三にわたってアメリカに渡り、原爆乙女の治療をはじめ精神養子縁組等の事業を実現し、国内外で“恒久平和の実現と人類の福祉増進”を図ってきました。

谷本清平和賞と世界平和弁論大会

財団創立者 谷本 清 (1909~1986)
谷本清平和賞
世界平和弁論大会
創設者
鶴   襄
(1915~2006)

 1986年に谷本清氏の後を受けた二代目理事長鶴襄氏(学校法人鶴学園創立者)は、谷本清氏の偉業を祈念し、恒久平和実現と原爆体験の風化を食い止めるために貢献した人(団体)を顕彰し、より一層平和構築への推進力となっていただくことを願い、「谷本清平和賞」を創設しました。1987年ノーマン・カズンズ氏が第1回受賞者として表彰されました。
  また、鶴襄氏は、若人たちが世界平和に対する関心を高め、国境を越えて平和実現のために手をつないでほしいとの願いから、1990年に第1回「世界平和弁論大会」を開催しました。
  こうした鶴襄氏の遺志は、谷本清平和賞と世界平和弁論大会を「国際平和の集い」として今日まで受け継がれています。

【歴代理事長】 谷本  清 1950年~1986年 (1950.8.8就任)
  鶴   襄 1986年~2002年 (1986.4.1就任)
  橋本 榮一 2002年~2005年 (2002.9.7就任)
  鶴   衛 2005年~ (2005.4.26就任)